涙を拭う
首に腕を絡めて背伸びをすると、少し頭を前に屈んで私のキスに答えてくれる。
始めは触れるだけ・・・でもゆっくりと、味わうように。
ようやく唇が離されて瞳が合うと、くすぐったいような照れくさいような。
はにかんだような微笑みに、緊張していた私もいつの間に微笑んでいるの。
再び重なる唇は、これから起こる事を告げるような、始まりのキス。
誘い出されて薄っすら唇を開くと、入り込んだ下が口内をなぞってくる。奥に隠れた私の舌を誘い出すように。
ゾクリと背中を駆け上がる感覚は、これから味わうであろう荒波を予感させる、小さなさざ波にも似ている。
自分が変わっていく・・・おかしくなっていく・・・・。
怖い・・・の・・・・?
霞の掛かった意識で心に問いかける。
違う・・・・。
それは、私の希望・・・期待。
おかしくなってしまいたい・・・何も考える事が出来ないくらいに、私の中を満たして欲しい。
息をする間も惜しいほど、一瞬たりとも離れたくない。
私の舌を絡め取り、吐息をも奪うあなたに私も必死になって答えるけれど、互いのきごちなさがもどかしくて、余計に熱は上がるばかり。
角度を変えて深まるに連れ、私の腰に回された腕に力が籠もり、包み込むように覆い被さる身体に重みが徐々に加わってくる。そんなあなたの背中を抱きしめ返すのが、とっても好き。
口吻を交わすその合間に、月森は手慣れた仕草で器用に一枚、また一枚と香穂子の服を脱がしてゆく。
月森に抱かれた背中を支えられながら、二人ゆっくりとシーツに沈み込んだ。
白いキャンバスに香穂子の赤い髪がふわっと広がって、花模様を描き出す。
背中に感じる、ひんやりとしたシーツの感触。ふいに彼が離れて、今はまだ冷えている空気に身体が晒されると、訳もなく心細さが込み上げてきて、耐えるように両腕で自分を抱きしめた。
月森が上着を脱ぎ、ベッドの脇へと放り投げた。
パサリと落ちるその音をどこか遠くで聞きながら、徐々に露わになる均整取れた身体を、香穂子は霞の掛かった頭で見つめていた。
ふいに絡み合う視線。
飛び跳ねる鼓動。
視線を合わせたまま香穂子の上に覆い被さると、胸の前で併せていた両腕をそっと掴んで、開き除けた。
「もっと君の姿を見せてほしい・・・」
囁く声は溶けてしまいそうな程甘いのに、見つめる視線は真っ赤に燃える月のように熱い。
私を見て欲しい・・・・・・その熱い視線で心ごと焦がすくらいに。でも、見ないでほしい・・・・・・・。
矛盾している心は、私がおかしくなり始めている証拠なのかもしれない。
ぴったりと重ね合わせてくる肌から肌へと、想いが溶け込むように伝わって、切ないくらいに胸が苦しくなる。
下腹に感じる彼の熱さが、どうしようもなく私の中を疼かせて、背筋に甘い痺れを走らせた。
「・・・・・・・・っつ!」
月森が香穂子の髪をそっと掻き上げて、耳朶を甘咬みした。
そのまま唇は首筋をなぞるように這い降り、胸元に鮮やかな紅い花を咲かせる。
胸元から徐々に下へと移動する月森の、さらさらの青い髪が肌を掠めるだけでも微かな刺激なのに、いつもヴァイオリンを奏でる指先は、甘い音色を響かせるために香穂子の身体を這い回る。
刺激が加わる度に仰け反る、香穂子のしなやかな身体を、甘い吐息ごと押さえ込んでいく。
この部屋で過ごす時が積み重なるたびに、私だけが知っている・・・私にしか見せない蓮くんの姿が少しずつ増えていく。蓮くんにしか見せない・・・彼だけが知る私の姿があるように。
自分はあなたにとって特別。
あなたにとっても私は特別。
捕らえられて、捕らえる・・・・・・。
恋人なんだって、強く実感させてくれる。
「辛い・・・か・・・・?」
息を詰めて切なげに瞳を寄せる月森が、吐き出すように掠れた声で問いかける。
それは理性と荒ぶる本能とのギリギリの所で、いつも見せる最後の気遣いと優しさだ。
溢れる想いごと、あなたの熱い全てを受け止めたいのに、私の方には余裕が無くて・・・。
迫り来る圧迫感と熱さに、ただ浅く息を吐き続けるばかり。
言葉の代わりに、ふるふると首を振って答えた。
引いてなんて欲しくないから・・・。
心の中に抱えている熱い情熱そのままに触れて欲しい・・・抱いて欲しいと思う。
「お・・・願い・・・・・・・・」
やっと口に出来たのは、たった一言だった。
でも彼は、その先に続く私の言葉をちゃんと知っている。
一言を発するのがこんなにも困難なものだとは、この時ほど思うことはない。
もうおかしくなってしまいそうだから、恥ずかしさなんて感じていられない。
「香穂子・・・・・」
縋り付くような香穂子の視線に、最後の理性を振り切るように呟くと、月森がゆっくりと前に身体を倒してきた。
隙間無く肌を併せるように強く抱きしめられ、一番深いところまで貫かれて互いの身体が重なった。
組み敷かれる重みと、熱く溶けてしまいそうな圧迫感に息が出来ない。
求められている。
心が満たされて幸せなのに、なぜか切なくて泣きたい気持ちになる。
身体に感じる悦びも、心に感じる切なさも、一つに混ざって私の中から溢れ出し、涙となって瞳から流れ出す。
「好き・・・好きなの・・・」
「俺も・・・・・・」
与えられる律動の最中に顔を寄せた蓮くんが、溢れ出て止まらない私の涙を唇で拭っていく。
目尻の水滴を吸い、流れ落ちて滴が辿った道を優しくなぞって。
それはまるで、私の中から溢れた想いごと、一滴もこぼさず受け止めるように・・・。
拭われた涙は甘い媚薬となり、あなたの中で高まる熱となる。
再び私の元へ戻る熱が、また新たな涙を生むの。
メビウスの輪のように繰り返される、甘い滴と、情熱と・・・・・・・。
拭い去ってもまた溢れる涙を、再び目尻に唇を寄せて優しく拭いながら。でも下からは激しく私を貫いて・・・・・・。
優しさと激しさと、にただ翻弄されてしまう。
荒い息づかいと、むせび泣くような甘い吐息が支配する室内。
二人の汗で少し湿っぽいシーツを握りしめて、与えられて感じる熱に身を任せ続けた。